医局というところ 後編

いよいよ私のいた第一保存科。
断っておくが、書かれたような内容ははるか昔の良き時代の話。
今は非常にアカデミックな感じとなっており、かつての面影はない。

第一保存科

私は入る医局は入学直後から決まっていたようなものだ。
教授に低学年のころから、飲みに連れまわしていただいていたからである。
とはいえ、私にとっては非常に居心地が良かった。

そもそも、当時はみんな5時まで診療をしない。
ギリギリまで仕事をする科は、看護系などのスタッフに嫌われるからだ。
こういう気配りは、実はとっても大事。

皆お酒が大好き

5時を回った瞬間、医局にビールのあける音が響く。
盆暮れには、医局に山のようにアルコールが届き、大きな冷蔵庫にぎっちり詰め込まれるのであるが、瞬く間に消費された。
思えば、飲むのが大好きすぎる医局である。
そしてひどいと、6時には医局には誰もいなくなり、鍵がかかることもしばしば。
夜遅くまで仕事がある医局の連中が、用事でやってきて、閉まっている扉の前で茫然としている姿を見たことがある。

私のロッカーは、教授室のすぐ横にあった。
帰り支度をしていると、ドアが開いて、飯にいくぞ、とお達しがある。
それから居酒屋、すすきのと回遊し、帰ってくるのは2時3時。
これが終末ではなく、月曜日。

次の日の帰り、そうっと帰り支度をしていると、またドアが開いて、軽くいくかとのお達し。
軽くいくはずもなく、次の日ふらふらになって帰り支度をしていると、次の日は医局長。
その次の日は助教授だったりと、いつもこんなのではないが、よく飲んでいたのは確か。
ある意味大変な医局であった。

かつてはソフトボールチームも

それでも私が入局したころは、おとなしくなった方であったらしい。
かつては医局にソフトボールチームがあった。
キャビティーズという。
キャビティ―とは、歯の詰め物であるインレーを入れる歯に彫り込んだ窩洞。
本来の意味は、穴という意味で、キャビティ―ズは、穴だらけという意味もあるのだ。
穴だらけの守備とかけたチーム名である。

このキャビティーズが活動していたころは、病院の予約は4時までと厳しく決まっていた。
それから近くの小学校のグラウンドを借りて、ソフトボールの練習に励む。
7時くらいに医局に帰ってきて、宴会が始まる。
ひと月にビールだけでも20万以上の請求があったという。
こんなことをしていた医局は、日本でここぐらいであったのではなかろうか。
なんとも牧歌的な時代を感じさせる。

医局長に怒られた話

あるとき、後輩たちが大きなサケを釣って持ってきた。
来年入局するので、ご挨拶だという。
サケを持ってくるのもどうかと思うが、喜んでいる医局も医局だ。

さて、サケを捌くにあたって、おい、秋葉、魚捌けるか?と医局長。
めんどくさそうなので、いえ、無理ですと答えておいた。
結局、医局長自ら包丁をふるうこととなった。

さて後日、私が釣りをすることから、魚が捌けることがばれてしまった。
お前、やっぱり魚捌けんじゃねーかと怒られた。

医局の今

去年、久しぶりに医局に顔を出した。
校舎は大改修され、非常に近代的になっていた。
医局には北欧調の近代的なデスクに、パソコンが並び、各国からの留学生が研究データと向き合っている。
アカデミーな空間そのものであった。
今は大病から生還した教授は、酒を飲まない。
もちろん、医局は禁煙となっていた。

時代の変遷だろう。
それでも昔の良き時代は、私にとってかけがえのない思い出だ。

現在の北大歯学部。ずいぶん小ぎれいになったほう
北大歯学部

医局というところ 完