医局というところ 前編
祝日に掲載するこのシリーズ。
今回は、医局について。
医局といえば、白い巨塔のように殺伐としたイメージがあるかもしれない。
実際、そのような医局は数多くあるだろう。
ところが、私の属していた医局はそれとは真逆であった。
普通の医局は
周りの医局は、結構大変なようであった。
朝早くからカンファレンスがあり、下っ端医局員はその準備に忙殺される。
夕方は5時に一応終わりの時間なのであるが、それからが下っ端の仕事の始まり。
補綴系は上の先生の技工があったり、外科系は山のような雑用をこなしたりする。
技工室には、同期が夜遅くまで技工をしていた。
来る日も来る日も、入れ歯やクラウンをつくっていた。
帰れるのは、ひどいと終電が終わってから。
喫煙室などで夜中出くわすと、憔悴しきった顔をしていた。
同期の中には、夜12時過ぎに、急にポテトフライを食べたくなった上官のために、札幌の夜の街を徘徊する羽目にあったものもいる。
味噌汁当番の具材で悩む同期もいた。
正直、将来につながる仕事とは思えないが、みな粛々と仕事にいそしんでいた。
そのくせ、給料らしい給料は出るわけもない。
かなり上のクラスになっても、バイトをしなくては生活ができない。
みそ汁作りも下っ端の仕事のところも
頑張っていれば報われるかというと、そうでもない。
外科系の同期は、突然釧路に飛ばされ、任期が終わったと思いきや、北見に赴任を言い渡された。
大学院で勉強したかったのであるが、いけるわけもない。
結局大学院に行けたのは、何年も後になってからだった。
僻地の病院の医療は、このように医局制度と、それに振り回された医局員によって維持されていた。
マスコミがよってたかって医局制度を批判し、骨抜きにしたが、その結果地方医療は崩壊しつつある。
医局の入局条件
歯科医院のホームページでは、どこぞの医局に居りました、などと誇らしげに書いてあるものがある。
ところが、医局など誰でも入れる。
医局は、人数によって科研費が決まる。
それゆえ、どこの医局も人数集めに躍起。
バカでもいなくてもいいから、とにかく頭数が必要なのである。
入るのが大変なのは、大学であって、医局や大学院は正直ザルのようなもの。
だから、北大にも他の私立大から大勢入局していた。
学歴をロンダリングするためである。
国家試験の合格発表が終わると、入局予定の私立大出身者が不合格で、入局者が全然いない、という話が聞かれるのは春の風物詩だ。
苦労するのが、彼らの面倒を見る指導教官。
正直、旧帝大の出身と、偏差値35の私立大の出身では、学力理解力は、富士山と天保山ほどの違いがある。
英語の過去分詞のhabeを持つと訳するのはかわいい方。
乳歯の寿命の平均値がまともに計算できない、化学式が書けないなどみな頭を抱えていた。
それでも指導される側は、全く意にもかいさないのだから、困ったものである。
そこそこ楽しい医局もある
きつい医局ばかりかというと、そうでもない。
放射線科は、助教授がカレー好きだったため、よくカレーパーティーが開催されていた。
なんと東南アジアまでスパイスの買い付けに赴く。
医局には、相撲部屋で使うような巨大なナベが転がっていた。
私も、何かで放射線科に遊びに行ったついでにスパイスとレシピをいただいた。
詳しくは書かないが、某保存科は、出会い系と呼ばれていた。
割とゆるい感じで、医局内カップルが非常に多かったためである。
続きます、次は私のいた医局です