北海道地震の実際
9月7日未明、北海道では初めてとなる震度7の地震がおこった。
報道では液状化した住宅地や、山崩れで埋まった住居が報道された。
札幌でも震度6を記録した地区があったらしい。
私は北海道大学出身、北海道には10年以上暮らしてきた。
当然、むこうには多くの友人や知り合いがいる。
大規模な停電が起きたため、連絡を取りたくても、とってはいけない。
スマホの充電は有限なのだ。
電気があらかた復活したという報道を受け、日曜になってやっと安否を確認してみた。
聞いてみると、報道とはずいぶん違う。
ずいぶんのんびりした印象だった。
北海道の人たち
I君
学生時代の同期、矯正医として開業している。
機材の被害はゼロ。
マンションの11階に住んでいる、さぞかし揺れたと思いきや、ものひとつ倒れなかったという。
4歳の息子は目すら覚まさなかったらしい。
直後は電気が来ていて、テレビで確認ができたという。
すぐ二度寝をし、起きたら様子がおかしい。
停電していて、前のコンビニに行列ができていた。
エレベーターが止まっていたので、11階から降りるのに難儀したという。
断水するかもと、水をいろんなものに貯めたが、断水せずに済んだ。
当日は医院は閉めたそうだが、翌日から通常営業。
患者も来たとのこと。
大阪の脱走犯まだ捕まんないのー、と、そちらの方が気になる様子。
Y君
彼も同期。
ボートでペアを組んでいた。
北大病院にいるので、自家発電で電源が確保されており、当直室でテレビを見て、スマホの充電ができたという。
停電でも、車の所有者はカーテレビを見たり、充電したり割かし平気だったらしい。
前日牛乳買っといて良かったと、しきりに強調していた。
のんきなものである。
小松先生
グラスアイオノマーセメント、フジ9の生みの親。
助教授だったが、現在退官され遊びまわっている。
特に何事もなく、停電も札幌医科大病院エリアだったため、その日の夜に復旧したとのこと。
大阪いくとき連絡するからなあ、とのことであった。
A歯科医院
札幌郊外の、私の修業先の医院でもある。
当日は、汽車が止まっているため、スタッフが来れず休診。
次の日から応急処置で診療開始。
3日目から通常診療したが、客足が湿りがちで、売り上げが上がらないとぼやいていた。
院長は、液状化現象で大々的に取り上げられた清田区在住。
さぞかし大変だったろうと聞いてみると、清田のごくごく一部で、他は全然大丈夫とのこと。
一日断水と停電があったが、それだけだったらしい。
教授
何と東京にいた。
ボートのインカレ出場経験もある教授、全学ボート部顧問として戸田漕艇場で地震を知る。
ただ、かつて北大歯学部病院の病院長を務めただけあり、逐一状況把握をされていた。
教授による大学病院の動きはこうだ。
北大病院
地震発生後、大規模停電が起きる。
北大病院は大災害が起きると、非常モードに切り替えられる。
北海道の医療の最後の砦。
即、自家発電に切り替わる。
燃料は備蓄分だけで3日もつ。
なぜか、救急の要である札幌医大が落ちる。
最初の何時間かは受け入れ停止となっていた。
北大病院はロビーや廊下が異状に広い。
いざというとき、病室や処置室代わりになるためである。
外来は停止が決まり、そのようなスペースに仮設のベットなどが用意され、野戦病院さながらの準備に入った。
救急患者が集められ、トリアージ(医療の優先順位をつけること)できる態勢が整えられるように。
北大が堕ちるときは、北海道の医療が堕ちるとき。
北大の存在意義は、そこにある。
幸い、災害の規模は大きくはなかった。
次の日には通常の業務体制に格下げされたとのこと。
北海道医療最後のの砦・北大病院
地震まとめ
地震でお亡くなりになった方は残念であるが、地震自体は報道が騒いでいるほど、ひどくはない印象。
被害の大きかったごく一部の模様を切り取って、大げさに報道しているだけらしい。
千歳の復旧も早かった。
いまだ7000戸近くが停電し、関空もまともに使えない大阪の方が、社会的損失は余程大変である。
北海道地震 完