ゴールデンウィークもあと少しとせまったある春の日、一人の患者さんが来院された。
40代女性、近くの大きな病院の看護師さん。
前歯の欠けが気になるとのこと。
それと、左下第一大臼歯頬側のできものも。2か月ぐらい前に気付いたという。
口腔内を診ると、長さ2センチ、幅5ミリくらいの、やけどの後のような白い瘢痕様の組織がみられる。
厚さは0.5ミリくらい。
耳鼻科でビタミン剤と抗生剤をもらったら少しましになったとのこと、疼痛はない。
触診すると、わずかに硬結をふれる。
悪性腫瘍は特徴として、腫瘍は周りの組織にしみ込むように増殖・浸潤する。
浸潤性の高さこそ悪性腫瘍の厄介なところであり、そのため安全域を多くとる必要があるため切除範囲がおおきくなる。
周辺組織にしみ込んだ腫瘍組織は糸で縫いこんだように、固く動かない、これが硬結である。
しかし、この程度の大きさでは悪性腫瘍由来の硬結は考えにくい。
一見、腫瘍や前癌病変に類するように見えないし、リンパの腫脹もない。びらんや潰瘍もなし。
外傷の瘢痕等であれば、2か月も継続するのはおかしいが、普通であれば経過をみていくところだろう。
しかし、何かひっかかる。言葉では説明しにくいが、経験からくるカンみたいなもの。
ここで出した診断は、白板症疑い。
白板症は細胞異型成をともなう、前癌病変に分類される粘膜疾患。癌化率は5~15パーセントくらい。
見た目をあまり信用しすぎると、診断を誤る。実は、癌や前癌病変は境界がはっきりしない。
細胞異型性を伴う疾患は変異した遺伝子コードのバリエーション、つまりはほぼ無数ともいえる組み合わせだけ種類があるといっていい。
これらの疾患、特に癌は、同じものがほぼないというぐらい種類があるものの総称といえる。
それだけに、抗がん剤は効いたり効かなかったりするわけだ。
それは見た目にもいえることで、典型的な細胞異型性を伴う疾患の特徴はあてはまらないことがある。
さっそく、大阪警察病院に診察依頼を出す。
ここの口腔外科の部長の石濱先生は、わが母校・北海道大学の外科出身で、数々の輝かしい肩書きを持つスーパードクター。
日本がん治療認定医機構がん治療認定医です。
こちらに赴任されてから大変お世話になっています。まさに頼れる大先輩。
ずいぶん先まで予約でいっぱいなのだが、やりとりしたところ無理やり時間を融通してくれました。
そして石濱先生による診断結果は、白板症。
癌化が懸念されるので、速やかに全身麻酔下で摘出手術となりました。
そして迎えた手術。
切除した組織を術中迅速病理検査したところ、すでに癌化していました。
ステージ1、転移なし。最小限の切除ですみました。もちろん後遺症はゼロ。
患者さんによると、癌化していたら手術時間が2時間を超えると説明されていたそう。
手術が終わって覚醒し、時計を見て、「ああ、癌だったんだ」と思ったのだそうです。
今回の件は、その後の北大のOB会のとき、石濱先生に他の先生の前で、よく見つけたねとお褒めの言葉を頂きました。
大人になっても褒められるのはうれしいものです。
後日譚として、今回の件で患者さんの二人のお嬢さんがお母さんと同じ看護師を志すことになりました。
医療が結びつけた不思議な縁。
頑張って立派な医療人になってくれると思います。