見落としていた器官

原因を探せ

二つめに送った大病院すら、運動障害の原因を突き止めることはできなかった。
運動障害は、すごい勢いで進行していく。
ろれつが回らなくなってから、2か月を過ぎ、ついには杖をついて歩行するまでに至ってしまった。
いまだ原因はわからない。

私もいろいろ可能性のありそうなのを調べたが、らちが明かない。
進行のスピードを考えると、悠長なことはやってられない。

ある診療の日、ユニットに移動する患者を見て気づく。
運動障害に、左右差がない。

大脳の障害

大脳には、右脳左脳の別があり、梗塞でもパーキンソン病でも、最初は片側性に障害が出る。
ところがこの患者には、障害の程度に左右差が生じていないのだ。

やられた、すっかり騙された。
いや、騙されたのではない、気づけなかっただけだ、悔しいが答えはもとよりそこにあった。
自分を、ぶっ殺したいぐらいの衝撃にかられた。
歯科とはいえ、医療人の末端である。
気づく気づかないに、医科も歯科もない。
私の、不徳であった。
運動をつかさどる器官は、大脳だけではないのだ。

もう一つの器官

運動を制御するもう一つの器官。
それは小脳。

小脳は、大脳の後下方に位置しており、平衡(バランス)や、運動の調節をおこなう。
それゆえ、高度な運動能力を有する鳥などでは、特に発達している。
ここが障害をおこすと、精密な動きができなくなり、酩酊したような状態になる。

ここが障害されているとしたら、進行のスピード、左右差のない運動障害、全てが説明がつく。

小脳は運動や平衡を司る。鳥が空を飛翔できるのは、小脳があるからこそ
小脳の働き

三度目の正直

小脳の疾患などに強い病院を探すと、大阪ではどうやら関西医大や刀根山病院がよさそうなことがわかった。
アクセスしやすい関西医大病院に紹介状を書く。

後日、受診結果がわかった。
やはり、小脳の変性症。
小脳の変性症は、罹患者が全国で4万人弱という割と少ない疾患。
三分の一は遺伝性で、残りは孤発性。
孤発性のものの原因は、いまだ不明。

総論

疾患は明らかになった。
ところが、この疾患は原因も分かっておらず、したがって治療法もない。
これだけ原因の特定に苦労したのに、何と報われないことだろう。
医師がわからず、何とかヤブ歯医者の私が突破口を開けたと思ったら、行き止まり。
期待させた患者さんには、申し訳ないでは足りない。
医療が有史以来繰り返してきた無力感だ。
我々が手にしている医療は、ほんの一部を治すものでしかないのだ。

今回は脳梗塞(罹患者数120万)から疑い、さらにパーキンソン病関連疾患(罹患者数15万)を疑い、結果は小脳の変性疾患(罹患者数4万弱)であった。
最近、事の顛末を友人の循環器外科医に話したところ、脳外科のドクターがそれに気づかないのは、ちょっとなあとのことだった。
セカンドオピニオンの重要性である。
ひとつの医療機関で病気がはっきりしなかったり、治療法がわからなければ、迷わず別の医療機関にあたること。
現在の医療は細分化しすぎていて、全ての病気を把握している医者などいようはずもない。
ましてや、私は、歯科医だ。
それでもあがきにあがいて勉強している。
何と医療の無力なことか。

件の患者は、その後当院に来れなくなってしまった。
近く介護施設に入る予定だと、人づてに聞いた。
残りの人生が、少しでも救われたものになることを、祈るばかりである。

ろれつが回らない 完