医院に来る患者は様々だ。
聖職者であろうが、反社会的組織の人間であろうが、医者であっても病気にならない人はいない。
昔の職場でのこと、30代後半男性、入れ歯の作成をしにやってきた。

聞くと、刑務所から出てきたばかり。
上顎は残根ばかりで総入れ歯は避けられない。
刑務所では抜歯しかしてもらえなかったという。
病歴欄はC型肝炎。

反社会的組織(ヤ〇ザ)に属していたとのことで、覚せい剤で服役していたという。
肝炎は覚せい剤の回し打ちで感染したとのこと。

我々がどんなに苦労して感染を防いでいるのか、知る由もないだろう。
注射針など、安いものは1本5円くらいのものだ。
クスリを苦労して手に入れるなら、注射針くらい多少苦労して手に入れてくれ。
などとは、思っても言わない。

さて、なぜ彼が上顎の歯牙をことごとく失うに至ったのか。
それは、覚せい剤にある。
唾液には微小な虫歯を修復するハイドロキシアパタイトという成分がある。
微小な虫歯ができても、唾液がそれを修復するメカニズムのため、虫歯は最低限に抑えられている。
また、唾液には様々な抗菌成分が含まれている。
それゆえ、上顎よりも、唾液のたまる下顎の方が虫歯になりにくい。

覚せい剤は、副作用として強烈な交感神経刺激症状がある。
これにより、漿液性唾液の分泌は低下し、抗う蝕のメカニズムはことごとくブロックされてしまう。
そのため、覚せい剤の使用が続けば、上顎歯列群からう蝕が多発し、歯牙を喪失するに至る。
私が診た限りでは、歯周病のように骨の吸収はさほどではない。
おそらく急激に進行したう蝕によって歯冠が早期脱落に至り、歯根まわりの歯肉が開放的になったためと推測される。
そのため、パノラマ写真では、上顎の多発う蝕の特徴的な像を呈する。

別のあるとき、30代女性の患者が、残根の鋭縁を丸めてもらおうと来院した。
女性の詳細は書かない。
パノラマをみてピンときた、スタッフを遠ざける。
彼女の上顎は多発性のう蝕でボロボロ、下顎はそれほどではなく、歯槽骨の吸収も少ない。
何かお薬、特定のお薬やってますかと質問する。
観念したように、実は覚せい剤を、と話してくれた。
別に私は突き出したりはしない、治療のためには薬剤の使用状況は必要。
こちらが使用する薬剤等で、何かがあったら困るからだ。
取り締まるのは私の仕事ではないのだから。

私は積極的にこのような患者を診ようとは思わない。
しかしながら、世の中には服用を口に出すことをはばかられるような薬剤を使用している患者がいる。
患者の状態を完璧に把握するのは難しい。
その中で安全に医療を行っていかなくてはいけない、頭の痛い問題である。

覚せい剤と虫歯 完