抗生物質の登場

人類は常に感染症と戦ってきた。
サルバルサン、サルファ剤と、効果は不完全とはいえ、細菌に対抗することができるようになった。
そして、ついに人類は20世紀最大の発明といわれる抗生物質を手に入れる。

強運の細菌学者

アレクサンダー、フレミングはイギリスの細菌学者。
細菌培養のシャーレに異物を飛び込ます達人である。
普通であれば、このような汚染はコンタミ(コンタミネーション)と呼ばれ、歓迎されることではない。
しかし、フレミングはとんでもないものを呼び込んでしまう。

リゾチームの発見

1922年、細菌培養をしていたフレミングはくしゃみをする。
すると、後日、鼻水が飛んだところの細菌が溶けてなくなっていた。
フレミングは、鼻水に細菌を溶解してしまう作用があることに気づく。
リゾチームの発見である。

リゾチームは、唾液、鼻水、涙、タマゴなどに含まれる抗菌成分であるが、強い殺菌作用はない。
長らく総合感冒薬などに配合されていたが、2016年、厚生労働省により医療上の有効性が確認できないとされ、医薬品から外された。
とはいえ、食品添加物やサプリメントには用いられている。

ペニシリンの発見

1928年、フレミングの培養していた細菌シャーレに、青カビが生えていた。
そしてその青カビの周りには、細菌が生えていないことに気づく。
阻止円ができていたのだ。

リゾチームの発見の経験から、同じようにカビが細菌の繁殖を防ぐ何かをつくっているのではと直感した。
人類が初めて抗生物質に行き当たった瞬間である。
たまたま見つけた青カビも、特に抗生物質生産能の高いレアものであったことも幸いした。

難航した精製

ペニシリンの有効性は、βラクタム環と呼ばれる構造にある。
βラクタム環は不安定で、なかなか精製が難しかった。
フレミングは精製を試みたが、上手くいかず、ペニシリンの価値は塩漬け状態であった。
10年の時間が空費された。

再評価

1938年、オックスフォード大学の二人の研究者、ハワード・フローリーと、エルンスト・チェーンにより、フレミングの研究が再評価される。
1940年、彼らはペニシリンの濃縮に成功する。
精製は極めて難しく、濃縮が精一杯であった。
しかし、これで臨床試験への目途がついた。

1942年、世界二次大戦の真っただ中、米英はペニシリン開発を機密研究として強力に推進する。
莫大な研究費がつぎ込まれ、戦時中に実用化された。

1945年、フレミング、フローリー、チェーンはノーベル賞を受賞する。

ペニシリン系抗生物質
ペニシリン系抗生剤

抗生物質その後

抗生物質の登場は、世界を一変させた。
感染症に対抗する手段を持たなかった時代、1940年ぐらいまで日本人の平均寿命は40歳代で推移していたのであった。
抗生物質により、多くの感染症が不治の病ではなくなった。

ところが、抗生物質は新たな問題を抱える。
耐性菌の出現である。
ペニシリンの開発から間もなく、βラクタム環を破壊するβラクタマーゼを持つ細菌が出現する。
実はこの耐性菌は、フレミングは早くからその存在に気づいていた。
耐性菌との戦いが始まることは、抗生物質の発見者により予言されていたことなのである。

現代、様々な抗生物質が開発され、また多くの耐性菌が出現している。
にもかかわらず、耐性菌を誘導するような使い方をする医療関係者が多数いることは嘆かわしいことである。
特に、歯科医師はその無頓着ともいえる使用法で、耐性菌の出現をほう助しているようにしか見えない者だらけである。

長い細菌との闘いの歴史、このような乱用をみたら、かつての医学者はどう思うだろうか。
人類全体の財産を守るため、正しい使用のあり方を再考すべき時であると考える。

医療の歴史と発達 完