病原体の発見・後編
パスツールにより病原体の概念が発見される。
近代医学の幕開けである。
同じ時代のもう一人の巨頭、コッホはさらに細菌学を進化させる。
無名の田舎医者
コッホは銀鉱夫の子供としてうまれ、医学の道に入った。
特に有名な指導者のもとで勉強したというわけでなく、田舎の町医者であった。
彼の転機は、妻にプレゼントされた粗末な顕微鏡であった。
この顕微鏡こそが、人類が細菌を倒す原動力になるのである。
炭疽菌の発見
そのころヨーロッパでは炭疽菌という家畜の致死性の感染症が流行していた。
顕微鏡を手に入れたコッホは、おもちゃを手に入れた子供のように、のべつまくなしにいろんなものを覗きまくっていた。
そして興味は炭疽菌で死んだ家畜にいきあたる。
なまじ彼が学者ではないことが、彼が一から病原体を特定する原則を作り上げた。
彼は死んだ家畜から、病原体を発見し、それを培養し、そしてその培養した病原体を他の健康な家畜にうつすことで、同じ病気になることを証明した。
これにより、コッホは病原体と病気の因果関係を証明することができた。
これは、懇意にしていたコーンハイム教授のもとに持ち込まれ、一気にコッホは学者の階段を駆け上がることとなる。
時は1976年、北海道大学の前身である札幌農学校が開設されたのと同じ年。
パスツールが自然発生説を提唱してからわずか15年のことである。
細菌の純粋培養
当時、パスツールによる細菌の培養にはフラスコなどの液体培地が用いられていた。
ところが、液体培地では他の菌が混入すると混ざり合って単独培養ができない。
コッホは、ジャガイモの切断面にいろいろなカビがコロニーをつくっていることに気付く。
滅菌したシャーレに、ゼラチンで固めた培養液を用いて、表面に希釈した細菌の入った液体標本を塗布することで、コロニーを造る固体培地を思いつく。
結果は良好。
細菌単体での単独培養の成功である。
なお、この方法は今でも用いられている。
これにより、細菌学は大きな歩みを得た。
現代でも使われているシャーレによる平板希釈法は、コッホが産み出した
さらに、見えにくい細菌を目にするために、染色という技法すら編み出してしまう。
現在もなくてはならない技法である。
病原体の発見
彼の勢いは止まらない。
結核菌・コレラ菌という人類にとって恐るべき感染症の、病原菌を単離、発見する。
治療法を生み出したわけではないが、病原体の発見はその後の治療法の確立には絶対不可欠なものである。
コッホの原則
コッホの最大の功績は、結核菌・炭疽菌・コレラ菌の発見ではない。
病原菌の特定の方法を生み出したことにある。
コッホが生み出した病原体が、その疾患の原因たる条件を、コッホの原則と呼ぶ
➀ある疾患から、常に特定の微生物が検出されること
➁その微生物は、単離培養されること
➂単離培養した微生物が、同じ疾患をおこさせること
➃その疾患から、その微生物が単離培養されること
感染症のアプローチは、今でも変わっていない。
田舎の無名医師は、たった一人で感染症への基本原理を創造したのである。
続きます