近代医学の誕生

梅毒が世界に蔓延してから300年以上がたち、ついに人類は細菌の存在にいきあたる。
細菌学の発展は、細菌との戦いには不可欠なものであった。
それまでにも病原体という存在の漠然とした陰に気付いた人たちはいた。

見えざるものとの戦い

顕微鏡と微生物

微生物の発見は、顕微鏡の発明にまでさかのぼる。
ロバートフックによる顕微鏡の発明が、江戸時代初期の1665年。
1674年にはレーウェンフックが、微生物の発見をする。
ただ、微生物が病原体とするまでのところには至らなかった。

実験医学の父ジョン・ハンター

1700年代中期になると、イギリスの解剖学者・外科医であるジョン・ハンターにより、近代医学への礎が築かれる。
もともとは解剖学の医師である兄のために死体盗掘をおこなっていたが、解剖において天賦の才を兄に見抜かれ、外科医・解剖学に傾注する。
当時は水銀の摂取や、血を抜く瀉血、浣腸などが医術であった時代。
彼が提唱したのは、「観察→比較→推論→実験→検証」という今では当たり前となった疾患の向き合い方。
これにより、まじない同然の医術は、一気に医療へと変化をとげる。

尿管結石の切開法から、動脈瘤の外科的治療、癌の完全切除の必要性、溺水者の人工呼吸や、人類初の人工授精に至るまで、現代医学に通ずる技法や考えを次々に編み出す。
歯科においても、歯科の解剖学と疾患について論文を発表する。

それどころか、当時猛威をふるっていた梅毒に、自らを実験台として感染させるという荒行を実施。
これは、梅毒と淋病が同じ感染症ということを立証するために、患者の膿を使って自分に感染させた。
あろうことか、感染源たる患者は淋病と梅毒両方に感染していたために、同一疾患とみなしてしまった。
しかしこれは、病原体という目に見えないものの存在を、仮定しなければできないことである。
そしてその概念は、弟子により大きく開花されることとなる。

天然痘とエドワード・ジェンナー

ハンターの一番弟子、ジェンナーは人類を天然痘から解放した立役者。
ジェンナーは牛の天然痘(牛痘)にかかった農民は、天然痘にかからないという田舎の言い伝えがあった。
牛痘は人間に感染しても、軽微な症状ですむという。
これを検証したところ、ハンターに実験をすすめられ、牛痘の接種がおこなわれる。

人類が初めて病原体を制した実験。
病原体の戦いの初の勝利は、薬による化学療法ではなく、抗原抗体反応を利用したワクチン。
実に200年以上も前のことである。
時に1796年のことであり、それから10年程で世界中でワクチン治療がおこなわれることとなる。
そしてついに、1980年、WHOは天然痘の撲滅宣言を宣言した。

今では当たり前のワクチン治療は、何と200年前にさかのぼる
ワクチン

ジェンナーはこの治療法を特許登録しなかった。
誰でも治療の恩恵を受けれるように。
今まで何度か私のブログに出てきた師匠である小松先生も、歯科充填材料の高強度グラスアイオノマーセメント・フジナインの特許を取らなかった。
フジナインは今や世界中の医療の十分とは言えない地域で、使用されている。

続きます。