妊娠も安定期に入ると、いくらか歯科治療が可能となってくる。
すでに胎内では体の完成した胎児が、成長する時期に入っている。
むしろ、あまり歯科と縁のなかった人でも、受診が必要になる時期でもある。
とはいえ、難抜歯など大きな外科処置は、投薬が必要になるうえ、菌血症のリスクもあるので避けるべき。

この時期には、妊娠性の歯肉炎がかなり顕著になってきており、スケーリングや口腔衛生指導により改善をはかる。
歯肉炎のピークが、胎児の発生初期とずれているのは幸いなこと。

放射能を用いるレントゲンを不安に思われる方もおられるだろう。
しかし歯科で使うレントゲンの被ばく量は微々たるもの。
比較的自然放射能量の多い有馬温泉などの花崗岩地帯で30分湯治したものと変わらないレベル。
宇宙からの放射線にさらされる飛行機旅一回分のほうが多い。(ジェット機の巡航高度1万メートルでの放射線量は地上の約10倍)
加えて、レントゲンはデジタル化がすすんでおり、被ばく量は従来型の四分の一から十分の一程度にまで低下している。
それでも心配であれば鉛の入った防護エプロンを着用すればよい。(当院ではデジタルレントゲン・鉛エプロンの用意がある)
医科で扱う腸のCT撮影などは、歯科レントゲンの千倍以上の被ばく量がある、さすがに不急であれば撮影は考えられない。

麻酔はどうだろうか。
麻酔薬そのものは、胎盤を容易に通過するものの、歯科で使う分量では問題ない。
しかし、添加されている血管収縮薬が問題となる場合がある。
歯科で用いる局所麻酔薬は、できるだけ作用させたい部分のみに効いてほしい。
そのため、せっかく打った麻酔薬が血流に流されないよう、血管収縮薬が添加される。
血管が収縮することで血の流れが悪くなり、麻酔が打った部位に滞留し続け、局所に作用が持続する。

通常はアドレナリンが添加したものを用いる。
アドレナリンは体内でもつくられ、細い末梢血管を収縮させ、太い血管は拡張する。
その結果、血圧の上昇なども促してしまう。
そのため、循環器などに疾患がある患者には使えない場合がある。
そこで代わりに使うのが、フェリプレシンという血管収縮薬の入った麻酔薬。

フェリプレシンはアドレナリンほどではないが、血管収縮に働く。
実はフェリプレシンは、脳下垂体後葉で分泌されるホルモン・バソプレシンを人工合成したもの。
ところがフェリプレシンには子宮収縮と分娩促進作用がある。
そのため意図しない分娩を促しかねないため、妊娠後期では使用しない。
知らない歯科医が多いので注意が必要である。

8カ月をこえて妊娠後期でおなかが出てくると、歯科診療台での治療が困難になる場合がある。
治療をおこなうために上向きに寝ると、大きくなった子宮が下大静脈を圧迫する。
すると心臓に十分な血液が戻らなくなり、心臓からの血流量が確保できなくなる結果、血圧が低下する。
その結果、胎児に十分な血液がいかなくなったり、母体は低酸素状態になり気絶することもある。

妊娠中は歯科治療に大きな制限がかかる。
妊娠前から歯科に通い、処置が必要な歯牙は可能な限り治療を終えておくこと。
どうしても治療が必要な歯は、安定期である5カ月から8カ月の間に最低限の処置をすること。
妊娠というのは、全ての医療に想像以上の困難をきたす。
新しい命が生まれるということは大変なことなのだ。

妊娠と歯科治療 完