北大の学生達は日本全国だけでなく、世界のあちこちからもやって来る。
世界をリードする研究部門が多々あるわけだから、当然。
そのため校内には大きな国際学会が開ける施設や、国際交流のための機関がある。

当然、歯学部にも多くの留学生が来ていた。
インドやパキスタン方面の留学生がエレベーターに乗った後はすぐにわかる。
お香だかスパイスだかの残り香があるからだ。
うちの医局にも中国からの留学生が来ていた。
私がいろいろインチキな日本語を教えていたところ、飲み会でこいつひどいと罵られたのは若き日の話。
そんな彼らは国に帰るとスーパーエリートらしい、今では私とずいぶん差がついたことだろう。

日本人にしても、北大生は圧倒的に道外が多い。
そのため、帰省は一大事だった。
当時は帰省するのも、格安航空会社がなかったため大散財。
今ではなくなってしまった寝台特急日本海も、学割を使えたので利用したことがある。
現在考えると、ぜいたくな話だが、狭さで辟易したものだ。

お気に入りは、新日本海フェリーだった。
乗船前に港のコンビニ(北海道のコンビニ・セイコーマート)でカップ麺などを必要量調達し、食費を浮かす。
後は船内で、映画をみたり、寝たりと時間をつぶした。
学割で7000円ほどで小樽から舞鶴へいけた。
今のように高速船でなく、二日かかって昼頃入港して、大阪に電車で戻った。
今は高速船になったが、深夜入港で大阪へはアクセスがない。

医局のころ、正月前に飛行機で帰省した際えらい目にあったことがある。
北海道の玄関口・新千歳空港は悪天候に強い空港だ。
この空域には北の守りを固める自衛隊の航空団もあり、多少の天候にはびくともしないレーダーと航空管制網が敷かれている。
ところが、その最強の千歳でさえ年に何度かダウンすることがある。
冬の爆弾低気圧。
全面ロードヒーティングの滑走路が役に立たず、除雪が追い付かない。
こんな時札幌では一晩に60センチ以上も雪がつもる。

朝9時ごろの飛行機をとっていたのだが、第一便が飛んだのは夕方5時であった。
年の瀬ともあり、空港には部活の後輩たちが何人も。
つまり、先輩の私は何人分かの昼食をごちそうする羽目になってしまった。
まあ、私の便は飛んだから良かったものの、沖縄出身の後輩は結局帰れなかった。

今は格安航空会社(LCC)があり、北海道の敷居も下がった。
隔世の感がある。

続きます