魔法の赤い粉・サルファ剤

エールリッヒがサルバルサンを開発してから、20年以上たったが、化学療法の開発は全く進まなかった。
多くの製薬会社は開発そのものをあきらめてしまっていたし、恐慌などが費用のかかる製薬開発を難しくしていた。
しかし、あきらめずに研究している学者もいた。

元衛生兵の医師

ドイツの医師、ゲルハルト・ドーマクは第一次大戦に衛生兵として参戦していた。
そこで彼が出会ったのは、銃創などから感染症をおこし命を落とすおびただしい数の兵士たちであった。
その後彼はドイツの製薬会社、バイエル社に入社、細菌感染に効力のある薬品の開発にたずさわる。
死んでいった兵士たちを救うため、というわけではなく、第一次大戦後のハイパーインフレの中での貧しさから抜け出すためであったらしい。

赤い染料

バイエル社での薬品開発は、前時代にくらべるとずいぶん科学的になっていた。
化学チームが開発した物質を、病理チームが強毒性の連鎖球菌を使って動物実験し、その結果をもとにまた化学チームが化学構造を改良する。
それを続けるうちに、アゾ色素に強力な抗菌作用があることを発見する。
真っ赤な染料、プロントジルである。
ところが、どの化学構造が細菌に作用するのかはわからなかった。
1932年のことである。

その薬理作用を解明したのは、フランスのパスツール研究所であった。
プロントジルは体内で代謝を受け、スルファミンという物質に代わる。
そのスルフォンアミド部位こそが、細菌の葉酸合成を阻害し、増殖を止めてしまうのである。
人間は、葉酸合成能力を持っておらず、体外からの摂取に依存しているため、影響を受けない。

このように、体内で変化を受け作用する薬品をプロドラッグという。
現在も使われている合成ペニシリンのアモキシシリンなども、これに類する。
プロドラッグの機序などわかっていなかった当時、やむを得ないといったところか。

1935年、プロントジルはサルファ剤として発表される。
選択的に細菌を殺す合成抗菌薬の誕生である。

席巻

通常、患者への投与は動物実験を経て、十分な試験をしたのち行われる。
ところが、サルファ剤の人体への投与は、突然やってきた。
ドーマクの娘が、階段から落ちた傷がもとで、敗血症になってしまい、重篤化してしまう。

サルファ剤は、まだ動物実験がはじめられたばかりで、実用段階には達していない。
しかし、他に手段はなかった。
ドーマクは、賭けに出る、そしてその賭けに勝ち、愛娘は生き延びることができた。

サルファ剤の実用化は翌1936年から始まる。
ヨーロッパ情勢が風雲急を告げていた時期、各国で争うように採用された。

サルファ剤の実用化は、戦場で多くの兵士の命を救うことになる。
1943年には、イギリスの宰相チャーチルが肺炎で命の危機に瀕した際、サルファで生き延びることができた。

ドーマクは、1939年ノーベル賞を受賞するが、ナチスの妨害により辞退を余儀なくされる。
彼が改めてノーベル賞の受賞をしたのは、戦後である。

サルファ剤その後

一世を風靡したサルファ剤であったが、抗生物質の発見により、主役の座を明け渡すことになる。
耐性菌が誘導されやすかったのもその理由の一つだ。

とはいえ、サルファ剤が完全に使用され無くなった訳ではない。
同じく葉酸合成阻害剤のトリメトプリムと組み合わせて使用するST合剤など、現在でも使用されている。
薬品の歴史の中で、主役の時期は短かったが、サルファ剤の果たした役割は大きい。

現在でもサルファ剤は使われている

サルファ剤

 

続きます