化学療法の幕開け

我々が感染症にかかれば、抗菌薬を飲む。
この簡単なことができるのようになったのは、つい100年ちょっとのことだ。
20世紀に入り、人類はようやく抗菌薬を開発する。

抗菌薬が生まれるまで

1861年にパスツールが微生物が感染症ということに気づいてから、細菌学は一気に医学の花形に躍り出た。
ワクチンや血清という治療法、そして公衆衛生の発達により細菌に立ち向かうすべができたが、治療法ができたのは感染症のごく一部であった。
そのころ化学療法と呼べるものは、マラリア原虫に効果のあるキニーネと、アメーバ赤痢に効くイッペカクアナぐらいの物であった。
これらは、特に狙って生まれたものでなく、原住民の療法から生まれたものである。
人工的な化学療法薬の出現が待たれた。

初の合成抗菌薬・サルバルサン

化学療法の誕生

ドイツの学者、パウル・エールリッヒはコッホの門下生である。
血液学・免疫学・医化学と幅広い範囲の研究をしていたエールリッヒは、細菌を染色することから、これが治療に使えないかという発想に至る。
細菌のみを染色できる、ということは、細菌のみに作用する物質があるのでは、ということである。
化学療法の概念が生まれた瞬間である。

秦 佐八郎は、島根出身、現在の岡山大学医学部出身の細菌学者.
伝染病研究所で北里柴三郎のもと、ペストの研究に没頭する。
その後、秦はドイツのコッホ細菌研究所に留学する。
学会で秦が危険極まりないペストの研究を続けてきたことを知ったエールリッヒは、秦をフランクフルトの国立実験治療研究所に招へいする。

エールリッヒは、梅毒トレポネーマに狙いをつける。
可能性のありそうな様々な薬品を、トレポネーマに感染したネズミに注射することで、生体に害がなく、トレポネーマにのみ作用するものを探そうとしたのだ。
試験管内で効果のありそうなものを選抜し、生体で試す。
エールリヒのもとで、秦は実験を重ね、ついに606番目の試薬が、トレポネーマに効果があることにたどり着く。
初の合成抗菌薬・サルバルサンの誕生である。
時は1909年、パスツールが病原菌を発見してから約半世紀の時間が過ぎていた。

エールリッヒの魔弾

エールリッヒは、生体に影響を与えず細菌のみを殺す薬品を、魔弾と称し開発を続けた。
開発したサルバルサンは、魔弾の名にふさわしいものであった。
それまで治療法の無かった梅毒に、希望の光がさす。

とはいえ、ヒ素を原料としたこの薬は副作用も多かった。
悪心、食欲減退、発熱、頭痛、吐き気。
これらの副作用は、抗がん剤の副作用に似ている。
抗がん剤は、がん細胞だけでなく、自身の細胞も傷つけるため、このような副作用が出る。
サルバルサンは、トレポネーマの酵素に作用する薬。
ところが患者自身の酵素にも作用してしまう、抗がん剤と同じように自分も傷ついてしまうのである。

細菌のみに効果があるとした目標には届かなかったが、猛威をふるっていた梅毒の治療が可能となった。
エールリッヒは、ノーベル医学賞を受賞する。

サルバルサンのもたらしたもの

サルバルサンは、梅毒の治療を可能にしただけではない。
化学的に合成した物質が、感染症治療に有効であるということを立証したのだ。
これにより、医学者は化学療法の可能性を感じ、サルファ剤、そして抗生物質の発見へと続いていく。

初の合成抗菌薬・サルバルサン(エーザイHPより転載)
サルバルサン

続きます