鬱というのは、実は診断基準や原因が結構あいまいな疾患である。
実態としては、いろいろな症状の精神障害の総称といってよい。
そこで10からなる抑うつ症状のうち、4つ以上を満たすとうつ症状と診断され、治療が開始される。

日本において、治療のガイドラインが作成されたのは、2012年になってからに過ぎない。
それ以前を考えると、いかに不定形ともいえる治療がおこなわれてきたのかがわかる。
そのガイドラインでは、安易に薬物療法を始めるのではなく、まずは心理療法をおこなうことが推奨されている。
ところが、このようなものは実際おこなわれはしない。
なぜなら、医師が保険診療で心理療法を行った場合、30分をこえるものについては480点(4800円)にしかならないからだ。
これでクリニックの家賃・維持費・スタッフの人件費などまかなえようはずもない。
実質、うつの治療は薬物療法一択といってよいだろう。

薬物治療の現在の第一選択薬は、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)である。
セカンドラインとしては、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)や三環系抗うつ薬(TCA)などがある。
いずれの薬剤も、神経間の伝達物質である、セレトニンやノルアドレナリンの取り込み等をコントロールすることで薬理を示す。

歯科における治療は注意が必要である。
特にSSRIは、新薬であり、歯科医師が充分な知識や留意がないまま歯科治療をおこなってしまう可能性が非常に高い。
各薬剤ごとに注意すべき副作用・相互作用をみていく。

SSRIは、長期服用において血小板凝集抑制作用を有する。
血小板機能の変化の結果、出血時間が延長し、出血傾向がみられるということ。
これは添付文書においても、重大な副作用として明記されている。
つまり、抜歯や外科処置において、血が止まりにくいといったことがおこるということ。

ところが、新薬ゆえこれを知らない歯科医師は非常に多い。
循環器科などで処方される抗血小板薬などであれば、注意を払うが、抗うつ剤では見逃される場合がある。
具体的な薬剤(商品名)は、
デプロメール
ルボックス
パキシル
ジェイゾロフト
レクサプロ
の5つ(2018現在)
これらを服用している場合、歯科医師に服用薬剤名と、出血傾向をしっかり伝えることが必要である。

ほかにSSRIの副作用としては、薬物代謝酵素チトクロムP450の阻害作用。
三叉神経痛の治療薬であるテグレトールの処方の際は注意が必要。

三環系抗うつ薬の副作用、歯科医師が抗うつ薬で注意をする副作用としては、こちらを思い浮かべるのではないだろうか。
末梢でのノルアドレナリン取り込み阻害をするため、麻酔薬中の血管収縮薬で添加されているアドレナリンの作用を増強してしまう。
とはいえ、局所麻酔のカートリッジ2本までなら安全とされている。
当院ではアドレナリンフリーの麻酔薬の用意がある。

あとは三環系抗うつ薬の副作用として有名なのは、歯肉腫脹であろう。
歯科 × 抗うつ薬 = 歯肉腫脹 というくらいメジャーなイメージ。
口腔内の清掃が行き届いていればとくには問題とならないが、うつの患者では口腔清掃状態が不十分な場合が多い。
そのため、歯間歯肉が腫脹し、ひどい場合は歯が埋もれるほどの症状をきたす。
昔は歯科医師国家試験の常連の副作用であったが、SSRIに主力の座を奪われているため、今後は目にすることも少なくなると考えられる。

いずれの薬剤にしても、すべて唾液の分泌能の減少をきたすため、う蝕や歯周病に対する注意は十分におこなう必要がある。

医療の進歩は日進月歩である。
そのため、今まで習得してきた知識では足りないことも多々ある。
新しい治療法に対する安全性の確保など、歯科医師は医療の進歩に十分に目を向ける必要があろう。
お金になること以外においても、勉強すべき点は山ほどあると声を大にして歯科界に叫びたい。

心の病気と歯科 完